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多様性を受け入れられる自分でありたいと空港で思った

2022-12-27

Hey, guys. 代表Okadaです。

今週仕事で飛行機を利用しました。発は最寄りの福岡空港です。

海外観光客の受け入れと、全国の旅行割引が加速した11月からなんとなくその雰囲気はあったのですが、保安検査に長蛇の列。

あとから知ったのですが、保安検査待ちで最大3時間だったそうです。

私は運良く、航空会社のカードでのステイタスのおかげで、専用のラウンジへと通じるルートでいけましたが、それでも平常なら1分程度で通過できるところも結構な待ちがありました。そこでスタッフの方に詰め寄る乗客の方を見ていて、改めて人が違えば考え方が違うんだな、考えを一律にするっていうのは難しいことだよな、と改めて感じさせられました。

OKADA

待ち時間が好きな自分

待ち時間は終わりがはっきりしていないですが、5時間も6時間もかかることはあまりないので、好きなんです。

例えば、列車待ちのホームで「20分遅延」とアナウンスがあれば、約束に間に合う限り、「ラッキー」という発想になります。

これは、交通機関は時間通りこないことが当たり前の社会で幼少期を過ごしたことも大きいかもしれません(日本は超提示ですよね)。体が寛大になっちゃってるんですよね。

それともう一つの理由は、私は性格上無制限の時間が与えられたら、行動を先延ばしにしてしまうんです。日曜に1日好きなように韓国語の勉強をしていいよ!ともし言われたら、おそらく言い訳を適当につけて、午前中はNetflixを観て、午後はカフェに行って、15時くらいから始めよう、くらいの気持ちになってしまいます。そして、15時くらいになって、あと2時間くらいたってから始めても間に合うかな〜となります。実際に午前中から作業を開始したとしても、時間がたっぷりあるから、と作業効率はかなり悪くなってしまうと思います。タイムプレッシャーがないと集中力を発揮しづらい性格なんですね。だから、仕事をする際は、細かく時間を区切りますし、学習(韓国語の勉強を)する際もポモドーロテクニックを使います。

遅延などの待ち時間って、だいたい時間が短いですよね。交通機関なら20-30分、飛行機なら1時間30分くらいじゃないですか。

いつ終わりがくるかはわからないですが、1日丸々時間をあげます、と言われる状況よりも時間制限がはっきりしているから、スイッチをすぐに入れることができるんですね。遅延20分なら、タブレットを取り出して読みたかった本を読む、韓国語の復習を20分集中でするなどしています。本当に効率よくできるんです。

2時間となると、タブレットをNetflixにしてドラマを2エピソード観て過ごせるので、ドラマ視聴にあてることもあります。この待ち時間って本当に没入できるんですよ。

誰にも邪魔されず、集中力を上げて時間を使えるところが待ち時間の魅力。だから好きなんです。

スタッフに詰め寄る乗客

待ち時間ではおなじみの光景ですが、激昂して罪のないスタッフの方に詰め寄る乗客の方。

今回も中〜上級会員が使用する保安検査場だったので、「何で金払っているのにこんなに待たされるだよ」と酔っ払った、おそらく最上級会員の方が叫んでいました。

おそらくそこにいたほとんどの乗客は「何コイツ?!」といった考えを持ったんじゃないでしょうか。

「私だって文句は言いたいのに...」これが正直なところでしょう。待ち時間歓迎派というマイノリティの私ですが、状況によっては苛立ちを感じるかもしれません(実際はたぶん、この時間を使って何しようかな、という発想になるんだと思いますが)。

こちらの一方向を押し付けてはダメだと改めて痛感した

誰かこのおっさんを落ち着かせて〜とほぼ全員が感じていたこの状況で、聞こえてきた言葉。

「おふくろが危篤なんだよ」

その方がおっしゃっている言葉の断片を拾っていくと、危篤状態の母親の元に飛行機に乗っていく。フライトに遅れたら会えない可能性があるから何が何でもさっさと保安検査を通過したい。そういった感じのことでした。

OKADA

真偽はわからないですし、体裁をつくろうために言った嘘の可能性もありますが、そういった状況があるなら、激ギレする姿には、むしろ「お母さんへの強い愛情」さえも感じ取れるなと思ったんです。

状況や見方が変われば、負が正にガラッと変わることってありますよね。

今回はそのおっさんを通じて、

自分の見ている視野が何て一方向で狭くって多様性がないんだろう、

って少し落ち込みました。少しだけでも怒っている別の理由に目を向けようとすれさえすれば、想像ができたかもしれません。もちろん、怒りを罪のない人に向けるのは良くないのですが、それよりも、想像力が欠けた自分にいらいらしました。

多様性をうけいれられる想像力のある人間でありたい

私は学生相手の仕事もしています。

1度に4〜100人単位を相手に授業をします。

居眠りをしている受講生がいる時に、「こちらの授業スキルと準備の不足」をまず最初に考えます。だいたいそこに原因があるのは経験上理解しているからです。次に「受講生自身のモチベーション」に目を向けます。この点はスタッフと共有したり、直接話す機会を設けて信頼関係を構築してから自分のレッスンなら真剣に受けたい、という気持ちにもっていくようにしています。

7-8年前、50人規模の教室で授業をしていて、最前列の女子学生がほとんど下を向いていたんです。何週か続いたので、まずはスタッフと共有。

すると、「彼女は熱心に授業を受けている子」との答え。

この時の私の思考は「オレの授業をきっているんだな」です。

その後も状況が変わらないので、今度は一度コミュニケーションをとって仲良くなろうと考えたんです。そして、レッスンへの積極性を上げる方向にもっていく。

初めての面談。彼女からの第一声。

「めっちゃ好きです。一週間の中で一番楽しみにしている授業です。」

と。まさかの答えにびっくりしました。

「それとすみません」

下を向いてた理由、そして、その行為で嫌な気持ちにさせているだろうということの謝罪を伝えてくれました。

実はその女子学生は過度の人見知りで、座席が最前列に指定された週から下を向くという状況になってしまったそうです。好きであるほど直接見れない。ちょうど私はそんな存在だったそうです。授業の理解度を簡単な口頭テストで試してみると、見事に正しい答えを返してくれました。

OKADA

この経験から、授業をする際には、自分にとってネガティブなオーラを出しているように見える学生さんはじっくり観察をして、なぜそうなっているのか、色々な可能性を考えるようになりました。それ以前は速攻で教室から出す、くらいの短絡的な発想だったのですが、とにかく想像力を最大限めぐらせるようにしています(もちろん自分原因というのは常にトップにおくようにしています)。単純に私との相性が合わないという予想通りの場合もたくさんあるのでしょうが、その時を境にできる限り、受講生は呼んで対話をするようにしています。

現代の世の中は、性別一つとっても多様な世の中です。校則にしても維持派もいれば自由派もいます。宗教でもそうです。もっとカジュアルに、好きなアイドルくらいのことでもありますよね、色々な意見が。

一律で押し付けるのはもはや不可能な時代になった。

だからこそ、今求められているスキルは、大きな想像力を持つこと。それによって多様な考え方をまずは一旦受け入れられるようになること。そして、折り合いがつかない場合は、コミュニケーションをとること。できる限り、お互いの妥協点を見つけること。対話を通じてです。

今回、多様性のかたまりである空港での出来事を通じて、改めて、そういった人間でありたいな、と再認識しました。

そして、個人個人が身の回りの小さなことを広い視点で処理できるようになることが、ゆくゆくは、ロシア問題といったもっと大きな国際社会の問題を解決する糸口が見つかるんじゃないかと感じています。教育者として、そういった人材の育成にも努めていきたい、と思います。

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